食楽ブログ

株式会社食楽の気まぐれブログです。
2017/07≪  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  ≫ 2017/09

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
   
     
       

宗像商工会議所 中華街 

初めての中華街。

期待が有ったが横浜の方に申し訳ないのだが私の想像が大きくて少し方の力が抜けた。

しかしながら楽しかったですよ。
IMG_0172.jpg
IMG_0174.jpg
IMG_0173.jpg
kouta 078
kouta 077
kouta 076
kouta 075
kouta 074
kouta 085
kouta 084
kouta 083
kouta 082
kouta 081
kouta 080
kouta 092
kouta 089
kouta 088
kouta 087
kouta 097
kouta 096
kouta 095
kouta 094
kouta 093
kouta 092
kouta 098
横關帝廟の創建
 日本が開国して横浜の港が開かれたのは、幕末の1859年。多くの中国人が商人や職人として横浜を訪れ、外国人居留地(現山下町)で暮らすようになります。それからわずか数年後の1862年、一人の中国人が關羽の木像を抱いて、現在の地にささやかな祠を開いたといわれます。これが横浜の關帝廟の始まりです。
 故郷を離れての暮らしには不安が募ります。關羽の祠は日々の暮らしの安寧や商売繁盛を願う華僑の心の拠りどころとなっていきます。1871年、華僑たちの募金によって、本格的な關帝廟が建立されました。
初代關帝廟の姿
 明治の宮廷画家と称される五姓義松が、色鮮やかに描いた關帝廟の絵が残っています。神壇は赤・緑・金などの極彩色で彩られ、精緻な彫り物が施された前机は赤と金。前机の上の花立・火立・香炉の五具足は銀色に輝き、中央の大小の香炉には「中華会館」の文字があります。關帝が鎮座する厨司も赤と金、中央の關帝のご神体は全身が金色に輝き、黒い口ひげをたたえています。また神壇の両脇にはなぎなたや提灯が置かれ、天井には「威震華夏」(關羽の威光は中華を震わす)の扁額がかかっています。香港や広東などから運ばれてきた神壇や祭器が並ぶ廟内には、線香の濃い香りが漂っていたことでしょう。
 当時の横浜華僑は1,000人あまり。横浜の地にやってきて10年足らず。この短い期間にこれだけの立派な廟を建立したところに、關帝に寄せる横浜華僑の信心のあつさが表れています。

凄いですね!海外も良いですが、日本も私の知らないとこだらけです・・・
スポンサーサイト
   
     
       

コメント

コメントの投稿


トラックバック

トラックバックURLはこちら
→ http://syokuraku1616.blog92.fc2.com/tb.php/901-cd36c8c2
FC2ブログユーザー用
この記事にトラックバックする。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。