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食楽ブログ

株式会社食楽の気まぐれブログです。
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教えること。

 上司になり立場が上になればなるほど非常に難しい教育指導をしていかなくてはならない。ましては、自己の言動身なりから全てに配慮していかなくてはならない。
自分の服装が社会に偏見を持たれる格好をしているにもかかわらず、君の服装はチンピラ風なので止めなさいと言われたときには心の中でチミから変えなさいと思うだろう。
今日も午前中話をしたのだが、仕事は頑張っているのかと聞いた100人は「頑張っています」と答えるだろう。「ズボラしています」と答える人は居ない。仕事とは自分の能力、興味、価値観、達成、責任、貢献を表現するもの。そうでなければ仕事とは退屈で無意味なものになってしまう。塀の中の動物と同じみたいなものであろう。
興味だけでは自己満足。しかし、事を成すときには好きという事が第一前提に成るだろう。上記に述べた全てのものが一つでも欠如してはいけない。という事は、目的目標に向かっていかなくては成らない。学校ではない。プロで有る。プロはプロの仕事をしなくては成らない。
人に教育指導をしたとしても教育しています。で終われば誰にでもできるのです。
頑張っています=教育しています。と同じ。何の成果なのか。成功は成果の果実という事をアチーブメントの青木社長の名言だが私もそう思う。やっていますというが成果が上がらない。赤字・・・資産がなくなる=倒産だ。頑張っています・・・確かな成果が上がっている。昇給があり賞与があり努力と物がマッチすればモットやる気が出てくる。モット出てきたらモット成果が出てくる・・と成れば物心共に豊かになるのだろう。寝る暇なく仕事している。考えている。教育している。確かに素晴らしい事だ。
でも、自己満足は仕事も人も潰してしまう。難しいが難しく難しく考えるから難しい。

西郷隆盛を評した坂本竜馬の言葉
善く問いを待つ者は、鐘を撞(つ)くが如(ごと)し (礼記)

「善く問いを待つ者」とは立派な教師を意味する。
よき教育者は生徒にとっては鐘のようなものだと、礼記ではたとえている。何故ならば、小さくたたくと、小さな音でしか鳴らない。大きくたたけば、大きな音で鳴り響くからだ。

教えを請うものがくだらない質問をすれば、つまらない答えしか返ってこない。ところが、考え抜いた質問、ポイントを押さえた質問をすれば、しっかりとした答えが帰ってくる。
教育というものは、教育者が一方的に教えるだけではない。教わる者が積極的に参加してこそ、教育は成り立たつのだ。

礼記では教師と生徒の関係を表しているが、別に教育に限ったはなしではない。人間関係すべてに当てはまることだ。


部下の成功は部下の成果であり部下にご褒美、部下の失敗は自分の過ちで自分にペナルティで有り全ての責任を負うこと。
だから上司であり、兄貴で有り、親なのだ。
宮本
亀山社中にて


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